2013.01.17
ゲルハルト・リヒター
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ファインアートをまともに知らない僕が半ば偶然リヒターの作品に触れたのは、2012年にパリを訪れたときだった。初めてのパリ滞在でホテルに荷物を投げた後、真っ先に向かったポンピドゥセンターで開催されていた企画展になんとなく10ユーロを払って足を踏み入れた。
様々な年代や手法による彼の作品群が偏ることなく展示されていて、無知な僕にもありがたい企画展だったと思う。おかげさまでリヒターとは一体どんな作家なのかを推測するために十分な材料を持ち帰ることができた。
彼の作品はどれもピントが曖昧だったり、核心的な部分が塗りつぶされていたり、中心を作らないような構図を取ったりなどしているため、すぐに感想が言葉で浮かんでこない場合がほとんど。ある地点以上に作品との距離を詰めようとするとそれがどこかへ逃げていってしまうようなゆらぎがあって、次第に鑑賞者を心地のよい霧の中のような世界に包んで離さなくなる。僕は初めて触れたリヒターの作品に心底没頭した。
その時の感覚は先日、六本木のギャラリーで開催されていた新作展を訪れたときにも重なった。様々な角度で取り付けされたガラス板の積層を正面から覗くと、透明なマテリアルの集積のはずなのに、霧に包まれたようにその先がほとんど見えない。そして平面の集合に鑑賞者自身の姿が複雑に投影されていた。
どこかで見かけた「美術は問いかけ、デザインは解決」という言葉は本当にその通りだと思う。デザインとは何か?という質問に対してのデザイナーの回答はいろいろあれど、僕はやはりデザインの使命とは機能すること、円滑になること、それによって問題が解決されることに尽きると思っている。しかし同時に僕はデザインによって全てが解決されるべきではないという認識を持っていて、もしかすると「美術」はそれに対するひとつのバリアとも言えるかもしれない。