ひさしぶりに投票に行ってみて

先日の参議院選挙で、ひさびさに投票に行ってきた。憲法の改正にリアリティが出てきたことからか、僕のFacebookのタイムラインには連日政治的なポストが上がるようになってきて、嫌でも選挙のことを意識せざるを得ない状況になったことが大きい。

最初に断っておくと、僕は憲法を改正すること自体は賛成である。そもそも憲法とはおよそ100項目から構成される国全体の大枠を定義する取り決めであって、よく聞く「憲法改正=戦争」「憲法改正=国民主権の縮小」という捉え方はあまりに部分的で、そもそもの「憲法を改正する」という行為自体に対する是非からはズレているとしか思えないからだ。それらは実際にどのように中身を変えていくかという次元において議論することであって、あくまで僕は、その時代に応じて柔軟に国や社会の形を変えていくという考え方に対して賛成している、ということだけなのである。

もちろん、反発の大きい憲法改正という点を敢えて人々の関心から外して票を集めるといういかにも「政治家的な」方法には気持ち悪さを感じる。しかし一方でそれにアゲインストする人々が連ねたインターネット上の書き込みのほとんども、情報源も不明な信憑性の薄い情報ばかりで、ろくにその正確性すら検証されずに拡散されていく様にも強烈な違和感を感じてしまう。一体どこに本当の情報があるのだろうか?

少なくとも「マスメディアは真実を報道しない」と言ってインターネット上の情報を鵜呑みにするのはとても危険である。マスメディアに比べて民主主義的な構造を持つのがインターネットの特徴ではあるけれど、そもそも民主主義自体が常に正しい解へ導く仕組みとは限らないからだ。高度に情報インフラが発達したと言われる今でさえ、結局は断片的で限られた情報を元に考え、自分の意見を持つということの大切さは揺るがないように思う。

人類は進歩している、世の中が発達すれば人々は全ての情報にアクセスできるようになる、という幻想は早く捨てるべきだ。未だに人間は自らを取り巻く環境のほとんどについて正しくそれを理解していないし、その無知によって同じような過ちを繰り返している。世界で起こる摩擦や衝突のほとんどは、そういった無数の小さな「わかったつもり」の堆積の結果なのかもしれない。

昨日の選挙特番で、ある政治家が「日本はこれから6年間とても厳しい状況に置かれるから、しっかりと舵を切らなければならない」と発言していたことが印象に残っている。その政治家の党には票を入れていないのだけれど、僕にはとても共感と説得力を感じる場面だった。例えば僕みたいに今まで政治に無関心だった層が選挙に行き始めて投票率が上がる場面が訪れるとすれば、それはこの国が本当に困難な局面を迎えている時なのかもしれない、という直感とともに。

2016.07.12
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