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2012.12.13

教育は最大の投資だと思った

(写真はThe Big Picturesより)

今年から大学や教育関係企業など「教育」をテーマにした仕事が圧倒的に増えた。あるときは名だたる名門校を出た後の進路について考えるエリートに向けて、あるときはまだ漢字の読み書きもままならない子どものために、そして我が子を思う母親のために…これだけ様々な人たちのことを考えてデザインをしたことは今までになかっただろう。もちろんその結果としての色や形もそれぞれのサイトによってかなり違うもので、傍から見てると全て同じ僕がデザインしたとは信じられないくらいかもしれない。

僕はそもそも教育にかなり興味があったのでできる限りそれらの仕事を受けるようにして、そしてたくさん作った。それらを通して「教育」というもののとてつもない可能性に、最近ようやく気がついたのだ。

まず教育は人の人格形成に莫大な影響を与える。なぜ僕たちは日頃からこんなに自然に日本語を話し、電車に乗り、買い物をすることができるのだろうか?当たり前すぎることだけれども、僕たちがそうやって今大人として暮らしているのは、誰かしら、何かしらからの教育の蓄積なしではあり得ないことだろう。

次に教育は人の集合の先にある「文化」にも大きく影響を与えているはずだ。日本人が日本人らしいと言われる理由を掘り下げてみると、その根底に教育というテーマが横たわっていることに気づく。例えば今どきの日本人ならまず確実に子どもの頃からジブリの映画を見ているだろうし、全国どこの中学校の合唱コンクールに行っても選曲が意外と似ていたりするようだ。こういった小さな共通項の積み重ねが「日本人らしい」というある輪郭を醸成している。

そして何よりすごいのが、教育は「循環」するのだ。野菜の名前も知らない親が育てた子どもの包丁さばきに期待できないように、世代を跨いでも引き継がれていくものも教育と呼べるかもしれない。そういう意味では「教育」とは人間を器にした「メディア」とも言えそうだ。市販の音楽CDの物理的な耐用年数はおよそ100年らしいけど、場合によっては教育のほうがもっと持続可能なメディアなのかもしれない。

つまりどういうことかというと、教育こそが持続的に世の中を良くしていくための最大の投資ではないのか、ということだ。人口が減ってトータルの稼ぎが減るのであれば、その分ひとりひとりがもっと稼げる有能さを身につければ良いのかもしれない。ひとりひとりがもっと考えてものごとを選択するようになれば、良質な財産が社会から残念な失われ方をすることも少なくなるかもしれない。即効性とは無縁で、荒地に木を植えて森を育てるような地道な作業だけれども、それでもやはり良質な教育以上に、持続的に世の中を豊かにすることができる投資は無いと僕はつくづく思ってしまったのだ。

ある映画監督がインタビューで応えた「子どもの頃の一瞬の体験は、大人の1年に勝る」という言葉につくづく共感している。そういう意味で子どもたちが目に見るもの、手に触れるものは全て「教育」なのかもしれない。だから僕たちは決して誠意のないものを作って世の中という海へ投棄してはいけないのである。