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2012.08.15

21世紀にものを作るということ

陰りゆく日本の電子関連企業 その凋落の理由(ウォール・ストリート・ジャーナル)

日本の産業が危ないなんてもうずいぶんと前から言われ続けていることだけど、改めて上のグラフを見るとゾッとする。この赤字への転落ぶりをみて、今さらソニーやパナソニックやシャープの未来を信じることなんてできるだろうか??

工業系でいえばカメラやクルマなど日本にはまだまだ良質な企業があるけど、これらだって今後どうなるかはわからない。前者はスマートフォンの台頭、後者は電気自動車へのシフトやGoogleが開発している(数年前までは笑いながら眺めていた)自動運転システムなど、業界の主導権が入れ替わってしまうような不確定事項がいくつも目に見える先に転がっていたりする。素人ながらにいろんなニュースなどを見ていて抱いたのは、きっと数十年後の日本は炭素繊維などの素材ビジネスや環境系、研究開発や産業向けといった裏方の仕事が食い扶持のメインになって、消費者向けの最終製品を作るかつての輝かしい大企業たちはほとんど消滅しているのだろうな、という実感だった。

今までいわゆる勝ち組と言われたジャンルの人たちでも、これからは何も悩まずに35年ローンを組んで家を買うなんて不可能だろう。まあ意外と人は楽観的なようなのでもしかしたらそうでもない人の方が多いのかもしれないけど。

しかしシャープのようにたった1年の赤字で過去10年くらいの黒字を全て飛ばしてしまうことがある世の中で、潰しの利かないスキルしか磨いていないとしたら、それはどう考えても危険だろう。だから自らの頭と手で何かを作ることで食い扶持と存在理由を獲得する道を自然と選んできた自分は、なんと幸せなのだろうと常々思う。

もちろんすでにこれだけ十分な物が出揃っている中で新しく何かを作るということは、決して簡単なことではない。現に上の3社がここまで失速している理由は長い間必要のないものばかり作り続けてしまったからに違いない。しかし、それでも僕は何かを作るということはとても良いことだと思っている。

今、経済的な没落と反比例して文化的な意味での日本は注目を高め続けている。それにはインターネットの普及がかなり作用していると思うけど、今まで僕たちが当たり前だと思っていたことが、世界から「発見」され、驚きの目で見られるという事例が次々と起こっている。
例えば最近では、写真表現でいうボケという手法が実は今まで日本にしかなかったらしく、YouTubeで各国のカメラマンがその「未知の」メソッドを細かすぎるくらい解説している動画を見かけて驚いたのだ。

こういうことがあってから、僕はいい意味であまり焦らなくなった。芸大を卒業した人は何かしら「新しいことをしなければならない」という強迫観念に駆られることも多いと思うのだけれど、新しいこと、というのはある目線ではすでに日常的に行なっている可能性すらあるからだ。それに「新しいこと」を追い求める意味自体も、僕たちの世代はもう本質的に見失っているはずだ。

だから僕は新しいものではなくて、正しいものを作ることを日々目指している。いつかそれが、誰かから驚嘆の目で見られるのかもしれないな、などと妄想しながら。