2012.05.10
都市という単位で捉える
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春先が忙しかったことに対しての反動もあって、珍しくゴールデンウィークは旅行をした。はじめてのソウル。韓国といえばウェブ上では何やらネガティブなお話も多いけど、実際行ってみると多くの発見があって有意義だった。やはり情報よりも自分の体験を信じるべきだし、どこに行こうが人はその環境を当たり前と思って毎日を暮らしているだけだ。
僕が海外旅行を始めたのは遅くて、24歳の頃。だから滞在経験のある国は少なくて、未だに韓国、台湾、香港、スペイン、ドイツに留まる。その乏しい経験ながら、おぼろげにわかってきたことがある。今や多くの場合、国や国境で単位を切ることが無意味になってきているのではないか?ということである。
例えば東京を中心に捉えると福岡とソウルまではほぼ同じ距離だし、福岡から見れば東京と上海、台北はほとんど同じ距離である。オンラインでいつでも世界中の知識や人々に触れることができるようになった今、これらの都市は物理的にこれくらい離れているという意味しか成さず、国境や言語の差はあまり関係なくなってきているのではないだろうか。
今やコカ・コーラを売っていない街を探すほうが大変だろうし、先進国同士なら国境なんてパスポートにスタンプを押す儀式でしかないし、現状は精度の悪い言語翻訳もどうせあっという間に進歩するのだろう。国によって異なる通貨もクレジットカードを使用すれば最終的に全て自国通貨決済だ。世界は間違いなく均一化している。
逆に海外からみた「日本人らしい」という評価は多くの場合「東京人らしい」という印象を受けたりする。東京でない地方の感覚からでは違和感を覚えることも多いのではないだろうか。東京と京都と沖縄では全然違うはずであって、それを「日本」と一括りにされるなんて勘弁と言われても仕方がない。
日本の、中国の、という分け方で考えるのではなく、東京の、京都の、上海の、香港の…という風に改めると、今までと全く違った地域感が浮かび上がってくる。だから最近僕は「外国」という言葉を使わなくなった。