2012.02.18
なぜ写真を撮るのか?
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昨日の投稿の補強記事。
日頃からなぜ写真を撮るのか?と聞かれることがよくあって、だいたいその時僕は日々の仕事(=アウトプット)に対するインプットの作業なんです、と今までは答えていた。撮ること自体を仕事として積極的に請けていない理由もそこにある。
けれどももう少し掘り下げた理由はないのか?と考えていたところ、先日友人と飲んでいるときに突然、ふとその答えを見つけた。彼は日本酒を商材にしたビジネスを立ち上げようとしている最中で、さすがリサーチも的確で無知な僕においしい日本酒を勧めてくれた。「これは甘みが強くて飲みやすいから日本酒が苦手な人でも飲みやすい」のだと。
しかし実際に口にしてみるとそれは「甘い」という形容詞だけではとても表せない味で、甘いけれども白砂糖の甘さとはかけ離れているとか、もったりと口の中に浸透していく感じが素敵だとか、もっと表現を補強しなければいけないものだった。そして端的に言うとおいしかった。
一方で身の回りはどうだろうか。もし世の中に「甘い」「辛い」「苦い」「酸っぱい」しか形容詞がないのだとしたら、これは不便でしょうがない。ものごとは本質的に複雑なのだ、とその時に気づいた。
いつも通っている道が今日は曇り空でどんよりしていながらも、普段は意識の影だったディテールが相対的に浮かび上がっていたり、ウインドウ越しのマネキンに街の灯りが偶然反射して何か有機的なものに見えたり、高層ビルの上層階から眺める夕焼けの街の、輪郭が緩やかに消失していく様であったり。いつも目の前には多くの情報が現れていて、複雑なのである。
先日オープンしたフォトログ「Antwort des 21. Jahrhunderts」ではこの複雑性の断片としての写真たちを際立たせるために、できるだけ何もしないというデザインプロセスを取った。ファーストビューの題名も意味不明のドイツ語ですぐに無意識に溶けていってしまう。その次に意識の中に登場するのが、現状ウェブメディア用として最も適切と考えられるスケールの写真たちである。
複雑な事象は概ね長い年月をかけて醸成されるもので、それをシャッター一押しで瞬時に収めて持ち帰ってしまう「写真」というツールはなんとずるいのだろう、とつくづく思う。だからせめて1日1枚というそれなりのボリュームで公開し続けることでその罪滅ぼしとしたい。