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2015.02.26

目的を持たない、ロジックでやらない、合理を求めない。

最近、川上量生という人物が出演している動画やトーク音声を集めています。ニコニコ動画を運営する会社の会長として有名で、その傍らでスタジオジブリでプロデューサー見習いとして活動したり何かと目立っているのに、いわゆるコミュ障なのかまともに会話できている動画が少なくて、一体この人はなぜ(時に致命的なほど)口下手なのに、こんなにすごいポジションにいるのだろう?とずっと疑問に思っていました。

そもそもニコニコ動画というのはかなり特異な素質を持つプロジェクトと言えます。YouTubeやGoogle、Facebookといった著名なウェブサービスの多くはつまりインターネット黎明期から人々が持っていた青写真の具現化ですが、一方でニコニコ動画のように動画の上にコメントが流れるといった「気持ち悪い」仕組みが突如登場して、しかもそれが流行るという状況は誰が予測できたでしょうか。

僕が最初にこのプロジェクト(もしくは空間)に関して強い衝撃を受けたのは、サービスがリリースされてしばらく経ってから掲載された「ニコニコ宣言」という文章です。

→ニコニコ宣言

特に初期から掲載されていた第一宣言〜第三宣言は当時もインターネットを取り巻く大きな潮流に対する強烈なアンチテーゼでありましたが、リリースから10年近く経った今読み返してもそのインパクトは薄れないばかりか、より具体的で現実化してきた問題に対してひとつの明快な突破口を示しているのではとさえ思います。

このニコニコ宣言のことを久しぶりに思い出したのは、下の対談動画を見つけたことがきっかけでした。

 
圧倒されたのが対談動画の後半、劇的に変わる時代や状況についての洞察力です。例えば普通なら「最近の若者は」といった愚痴で片付けてしまうような事象を、より深く的確に捉えて咀嚼していることが印象的でした。

そして次に見つけたのが下の、スタジオジブリの鈴木敏夫とのラジオ対談アーカイブ。よりマクロな視点の会話が繰り広げられていて、情報量が多すぎてすでに3回くらい聴き直しています。

 
「理屈や論理に従って行動するのはもはや人間じゃない」など、かなり刺激的な内容です。目的を持つことでひとつの点に収束するのではなく、「収束しない有機的な集合知」を目指すという発言が最初のニコニコ宣言にダイレクトにつながっていて印象的でした。

21世紀はきっと、人類がどこまで進歩を肯定できるかという挑戦の時代でもあると思うのです。そしてここでいう「進歩」に対して上の動画を見てからは、むしろそれは大きく矛盾を抱えたヤバいものにすら映るかもしれません。とにかく新しいものが素晴らしい、という価値観自体がすでに古いものであると僕は考えていますが、やはり人類は今、あるひとつの限界を突破しつつあるのかもしれないと改めて感じます。

それは何も「三丁目の夕日」のような価値観を肯定するということではありません。ものごとを測る定規の目盛りを、一旦取り払って取り組むことが重要なのです。消化済みの論理でやりすごしてしまう、それで結果的に本当の問題から逃げてしまうようであれば、不器用でもそれを否定して進んだ方が正しいかもしれない、ということなのでしょうか。