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2014.07.02

佐野 眞一 著「あんぽん 孫正義伝」を読んだ

過去にも一度か二度ブログに書いたこの人について、僕はかなり興味というか関心を持っている。日本に帰化した在日朝鮮人3世で、自らが資本金1千万円で興した会社を設立30年で利益1兆円という規模に成長させ、「全部誤差だった!」と言い放ちそれまで雲の上の存在だったはずの他社を圧倒、それでいて何となく胡散臭かったり、世間的にずいぶん過小評価されている人物。僕は活字の本をほとんど読まないのだけれど、夕飯を済ませるついでに立ち寄った本屋さんでこの本を見つけて、暑苦しい装丁に一瞬ためらいながらも中身が気になってレジへ持って行ったのだった。

まず読み始めて驚いたのが著者の取材力。取材対象本人はもちろんその親族や知人を訪ねるために何度も東京から九州や韓国を訪問し、常人ならとっくに諦めてしまうような場面でも粘り強く取材を成功させてしまう。とにかくいいね数を集めるために役に立たない情報をスクラップして刺激的だが数番煎じなタイトルを付けただけの(ひどい言い方をするとゴミのような)記事に比べて、本書の情報量はすごい。世に出すならこれくらいは責任を持ってやり込まねばならないという気迫、気概を感じるし、著者に説教されているような感覚すらある。

ラディカルな思想の孫正義に対して、時に保守的な著者はこの本で自身の意見も積極的に書き込んでいて、総和として中立的な立場の本になっていると思う。取材対象と著者、どちらの意見が正しいと判断するかは読者次第だし、考える幅を持たせるだけの情報量もある。例えば次の一節あたりはすごく印象的だ。

「私がここで言いたいことを要約すれば、人間の本当の価値を決める”知の等高線”を一切なくしたフラットな社会に、人間は本当に耐えられるか、ということである。」

池に石を投げ入れて波紋が広がるように、ラディカルな思想と行動が著者や読者を、かなり根源的なところまで考えさせる。リーダー不在の世の中というのは、言い換えると石を投げ入れる人材が足りないということなのかもしれない。

また、丹念な取材から成る孫正義の生い立ちの記録は、読み手に自身の”星”について鋭い刃物を突きつけているようだった。密造酒と家畜の強烈な臭いの中で育った大人と、生まれながらに銀のサジを持たされた大人ではその星も役割もずいぶんと違うはずだ。人と違う生き方をしたいとか、○○は××であるべきだと強く思うもやもやした人ほど、一度自分を冷静にジャッジしてみる測りとしてこの本を読んでみるといいかもしれない。

→ 佐野 眞一 著「あんぽん 孫正義伝」