BLOG.MABATAKI.JP

2021.07.18

横尾忠則=昭和のセカイ系だと思った話

東京都現代美術館で始まったばかりの展覧会に行きました。今まで横尾忠則の作品はほぼ見たことがなくて、予備知識もゼロの状態での入場。こちらの美術館の企画展は魅力的なものが多いですが、その中でも特に量も質も素晴らしい内容で、閉館までの2時間では全く足らないという結果に。今後行く予定の方は4時間程度確保された方がよいかもしれません。

予備知識無しで触れる絵画たちは多層的で死を感じさせる要素も多く、鑑賞者の心に傷を付け、画面から目を離させない力強さがあります。漫画や浮世絵に代表されるような日本のポップカルチャーの線主体、平面的な構成と対照的で、特に肉体を塊と捉えて定着されているあたりは西洋的な価値観や技術の影響を感じられます。ただし、アヴァンギャルドな色彩には明らかにそれと違う文化的背景も汲み取れますし、本来はフレーミングとして用いられる額縁が解体/再構築されてそれ自身も絵画の構図として取り込まれてしまっているあたりは、硬直化した伝統表現とは無縁の自由が示されていました。

後から解説を読んで知りましたが、彼の作品のモチーフの多くは生まれ故郷の風景であったり、少年時代に見た戦争の傷跡や精神世界、自らの結婚時の写真など、極めて「私」にフォーカスしたものでした。それはまるで「昭和のセカイ系」とも比喩できるもので、他人が存在しない「私」を鍋で究極に煮詰めていった結果、その時代を生きる人々の共通の価値観という「公」にタッチした、といったものです。

以前ある人物が、日本の表現者はヨーロッパ人が重視する「公」が欠落していると批評している文章を読んだことがありますが、例えば日本の若者に大きく支持されているRADWIMPSの音楽や新海誠の映画などに代表される2000年以降のセカイ系の文脈は、やはり上記のような営みだからこそ伝播して、商業的にも成功しているのかもしれません。それと横尾忠則の表現、彼が有名人だという事実は、重なる部分があると考えています。

彼が画家になる前のデザイナーとしてのキャリア紹介として、広告ポスターの展示もありました。それらの平面構成技術も街に溢れかえっている他のつまらない広告とは一線を画すもので、最高峰のひとつである日本デザインセンターの在籍経験があったことも十分に納得可能です。絵画と同じく、観る者の目を惹きつけて離さない豊かな色彩や形が定着されていました。

展覧会の期間は2021年10月17日。通常の企画展では考えられないボリュームで満足度も高く、おすすめです。

展覧会ウェブサイト:
https://www.mot-art-museum.jp/exhibitions/genkyo-tadanoriyokoo/