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2017.02.08

進歩、と立ち止まること。

ブログのデザインをリニューアルしました。これまで使用していたテーマはレスポンシブコーディングの勉強も兼ねて作っていましたが、サイドバーが無くてタイトルと本文以外を全てハンバーガーメニューに入れてしまうなど閲覧性に難がありました。相変わらずの塩系デザインですが普通のブログらしくなって気分がすっきり。

それにしても3年前は、レスポンシブでのマルチデバイス対応がここまでスタンダードになるとは思ってもいませんでした。SVG形式のベクター画像もかなり見られるようになってきましたし、まだまだウェブの技術トレンドは変化していくのかもしれません。

最近、予約したまますっかり忘れていたIQOSが手元にやってきました。もはや非喫煙者でも説明が不要なほどメジャーな存在になった加熱式タバコで、永らく普通のタバコが手放させずにいた僕でも意外なほどすんなりと移行できています。最初は説明書なしでは理解できない操作方法に戸惑いましたが、切り替えて2週間ほど経った今では早くも喫煙所の臭いを敬遠しはじめるほどに。

IQOSという商品のブレイクスルーが実現したのはもちろん技術の進化という裏付けがあるからで、かつそのメリットがデメリットを上回っていると多くの人が判断したからでしょう。(この場合のメリットは煙や臭い、健康被害の軽減、デメリットは操作方法の複雑さ、吸っている姿に微妙に情緒がない、などですね)。同じようにブレイクスルーしたプロダクトを連想するとLCCの飛行機、オート変速の車、デジカメ、スマートフォンなど様々なものが挙げられます。

もちろんこれらのソリューションは多分に暮らしや仕事を便利にしてきましたが、一方で却ってものごとを複雑で不自由にしている面もあるのではないかと思うこともあるのです。
例えばより人々を安く遠くに飛ばしてくれるLCCは、前もってプランを立てて予約しないとそのメリットが薄れてしまい、結果的に「今から遠くへ行きたい」という衝動的な欲求を押さえて、予定という不自由さに人を縛る側面があるとも言えますし、最近の車はあまりにボタンやスイッチが増えすぎてしまって、むしろ昔のマニュアルトランスミッションの車のほうが単純で分かりやすかったのではないかと思ってしまうほどです。

ソリューションが巨大になると、それをつくる過程でのマネージメントも複雑極まりないものになります。僕が生業とするウェブ制作業でもその傾向は顕著で、フロンティアだった時代とは違い気合と根性だけではクリアできない与件が当たり前になってきて、予算(や回収計画)と見積の不一致、人材の枯渇など歪んだ市場になってきているようにも感じます。

これらは総じて大きな問題をより大きな解決策で乗り越えるというアプローチですが、そろそろ人間の能力ではこれが厳しくなるのかもしれません。今までは100人に1人の能力で切り拓けたものが、1万人に1人、1億人に1人とどんどんハードルが高くなるからです。すでに現在は1人の天才の活躍というよりチームプレイの時代だとは思いますが、ソリューションが大きくなり続ける限りはやはりいつか人間の理解能力の限界を超えてしまうのだと思います。

小さな問題と向き合うことを、もっとポジティブに肯定することはできないのでしょうか?小さな問題を解決するたくさんの人々がいて、それらがかつてのインターネットのように無数の緩やかな網目となりつながっている社会のほうがエラーに対して剛健で、かつ人間的に豊かなのではないか、と僕は考えられずにはいられません。

進歩することが生理的快感とかけ離れていると感じたとき、一度立ち止まって観察し、修正することは決してネガティブではないと思うのです。