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2015.06.02

神は細部に宿る?

2009年の春に東京に出てきてから気が付くともう7年目。これまでフリーランスのデザイナーとして数多くのプロジェクトに関わってきました。

7年前の僕は人生の一大決心として何のゆかりもない東京という街で、就職したことすらないキャリアで敢えて困難なフリーランスとして生きるという道を拓いている最中だったと思います。今考えるとすごく無謀なことへのチャレンジでしたが、結果的に7年もこの道一本で生きて行けていて、一体どうやってあのときは食いつないでいたのだろう?とさながら昔の自分を他人ごとのように観察してしまうことすらあります。

7年前の僕は全体について考える、根本的なことから見直すというマクロなフレームにかなり注力していたと思います。それについては現在も変わっていないつもりですが、それと同時に良質で最適なディテールなしで理想の世界は成立し得ないこともまた多く痛感してきました。何より厄介なのは、前者の議論はロジカルに解くことができる性質を持つ一方、ディテールの議論はとても感覚的で、非常に繊細であることです。

つまり勝利の方程式があるのだとすれば、その中でロジックが占める割合は決して100%ではない、ということなのです。時にはそれがまるで役に立たない場面すらあるかもしれません。逆にどんなに素晴らしい理念やコンセプトを見出したとしても、それを現実のプロジェクトとして形にするという困難な過程の上では、ディテールの検討無しでそれを成し遂げることはできないでしょう。

素晴らしいディテールは時代や価値観を乗り越えて評価されるものだと感じています。例え最初のコンセプトや用途が時代遅れになったとしても、モノ自体は次の時代の誰かがその新しい価値を見出し、結局残っていくパターンもあります。一方で僕が生業としているフィールド、つまりウェブという有機的なフレームの中ではどうでしょうか?

矢継ぎ早に新しい潮流が生まれ更新され続けていくオンラインの世界では、職人的に体力を消耗して細部を追求する意味を時々疑ってしまう場面すらあります。形態はロジックに支配され不自由になり、人間が本来持つ理不尽さや不合理さといったものの居場所が狭まっている環境で、ディテールは一体どこまで人を満たすことができるのか?ウェブデザインという領域はすでにその存在意義を自らに問いながら闘い続ける、一種の伝統工芸のようなフェーズに突入しているのだと感じます。

しかし、少なくとも理屈のみで詰めるウェブデザインがもう限界に来ていることは確かでしょう。なぜならば理屈で解くことのできるストラクチャの構築はいずれコンピュータに代替可能なのであって、少しでも人間らしくモノづくりがしたいというつくり手にとってはすでに不毛の大地だからなのです。つまり理屈や正論だけでは人は幸せにならないということを、もっと説得力を持って証明することが求められています。敢えて描き続ける理由があるのだとすれば、恐らくそれに集約されるのではないでしょうか。