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2013.12.06

なぜ美術教育が必要なのか

「もっと美術教育が必要だ」とか「欧米に比べて日本の美術教育は遅れている」という意見をずっと耳にする一方、なぜそれが必要なのかという具体的な意味性を訴えているものはあまりないように思う。「ゆとりある社会」は必ずしも美術抜きで語れないものではないし、単純に絵描きを目指す大人を増やすだけではかなりナンセンスな主張でもある。

それよりも僕は今盛んにこの国で語られているイノベーションのジレンマからの脱出、発明や起業を活性化するなどのお話に紐付けたほうが、よほど美術教育の価値が理解しやすいのではないかと思った。そしてこれらは確実にリンクするものだと僕は確信している。

結論からいうと、学校での美術教育の価値は「ものごとを評価する力の養成」に集約されると思う。美術というのは人間の動物的な生存にとっては特に必要のないものでありながら、太古の文明からずっと続いてきた不思議なモノ、もしくは概念だ。なぜ役に立たないものを作り続けるのか?というテーマはずっと作家を悩まし続けてきたし、しかもオークションで数億円の値をつけるような絵画から道端のガラクタ屋で売っているような数百円のものまで、物質的にはほぼ同一なのである。一般的に美術は、それを見る人たちの評価によってその価値が決定されていく。

生存に必要のないものに評価を付ける、価値を共有するという力はきっと自身が新しい何かにチャレンジをするのにも役に立つに違いない。逆にそれができない場合、自身が正しい方角へ向かっているのか自己評価できないということになるので、その状態でリスクを取るのは当然怖くなるはずだ。描く力、つまり組み立て力も重要ながら、美術教育で養われるべきなのはむしろ見る力、評価する力なのではないだろうか。

3インチほどのタッチスクリーンを見て「これで電話が作れる」とひらめいたところから始まったというiPhoneは、まさに電話を再発明して数億台レベルの出荷台数を誇っている。今でこそこのデバイスの可能性は語り尽くされているけれど、もしまだ形になる前にそのアイデアを聞かされた時、一体どれだけの日本人がその可能性に気づくことができただろうか?新しいものを評価するというのは大変に難しいことなのである。

この国を本当にイノベーティブにしたいなら、もっと充実した美術教育を学校授業のカリキュラムに組み込むべきだ。