BLOG.MABATAKI.JP

2013.04.18

世の中の役に立たなくてはならない、という脅迫

「世の中に立たなくてはいけない、というプレッシャーが辛かった。」

最近知り合ったあるアニメーション制作ユニットの方の発言がとても印象に残っている。クライアントワークを請ければその成果物が何かしら世の中にプラスとなる存在になるまで持っていくことは、半ば制作者の使命である。しかし同時にその「役に立たなければいけない」という無言の重圧に、日々いかに制作者自身が脅迫され続けているかを思い直したのだ。

僕が東京という環境の中で暮らしていることもあるかもしれないけれども、いつだって目の前には誰かが考えた「美しいデザインの物語」が横たわっている。大量消費社会の終焉と言われた21世紀になっても、いやむしろ以前より、とても処理しきれない膨大で雑多な情報が大波のように襲ってくる毎日。

マーケティングの世界では選択肢を与えすぎると顧客は商品を選べなくなる、という定説があるらしい。インターネットが本格的に普及したここ10年で人々が得られる情報量が数百倍になったと言われる今、かなりの割合の人は既に「商品を正しく選べない」状況に陥っているのではないだろうか。

あらゆる製品やサービスのライフサイクルが短くなっている今、また時間あたりの生産性が上がり様々な物理コストが減ってきている流れの中で、必然的に制作者は以前と同じだけの期間で、より多くのものを作るようになった。そのほとんどは何かしら世の中に価値を生むために生産されているはずなのだけれども、僕はもうすでにこの流れは限界を超えているのではないかと思ってしまった。

もちろんデザイナーである僕は、作ることを放棄すれば生活ができなくなってしまう。しかし世の中の役に立たないといけないという脅迫のみから生まれるものの可能性はすでに飽和していて、もっと違う視点から捉えていく必要があることを同時に強く感じている。

肩肘を張って世界を憐れむより、もっと気楽なほうがよい。魅惑的なキーワードよりも、もっと無垢で静かなものがよい。言葉で熱心に語るよりも、それ自体がなにか特別な質感を帯びている方がよい。

このアニメーション制作ユニットの作品をいろいろと眺めているうちに、改めてそう思った。