BLOG.MABATAKI.JP

2013.06.19

ウェブデザインについて考えていること

僕の本業はウェブデザインなのですが、これまでこの(カメラと旅行に関することばかりな)ブログではそれについて詳しく書いた記事がほとんどありませんでした。しかもメインサイトのmabataki.jpは1年に1、2度しか更新していない有様で、普段案件で関わっている方々はともかく、ウェブ上からここまでたどり着いた方には僕が一体何を考えて日々デザインをしているのか?という点があまりクリアになっていないのではと思います。

もちろん敢えてそうしている面もあるのですが、改めて言葉で整理してみることでより理解して頂きやすく、また自分自身のスタンスがより明瞭になればと思いました。大きく分けると4つあります。

1. そもそもデザインとは「解決すること」である

これはとても大事なことで、最低限これが意識にないとプロジェクトがとんでもない方向に行ってしまう危険性があります。対義語は問いかけとしての「美術」です。デザインとは決してデザイナーが主観的に「こうしたい」ということを視覚化することでなく、目の前のプロジェクトで考えられうる最高の解を見つけ出し、それを実行すべく全体の構造から細部の色や形までを愚直に詰めていくことだと考えています。

2. ストラクチャを考える

Flashの存在が圧倒的だった数年前までのウェブサイトはどちらかというと劇場型の構造でしたが、SNSやスマートフォンの台頭、結果より多くの人が日常的にウェブに触れるようになったことで大きく役割が変化しました。劇場の映画上映は最初から最後まで座ってじっくり見なさいというプログラムですが、近年のウェブコンテンツは例えばコンビニや本屋の棚に並ぶ雑誌のようで、じっくり読む人もいればいきなり途中のページから始める人もいます。1人でパソコンとスマートフォンを両方持っているパターンも当たり前で、どちらからアクセスしても自然な情報体験であることが求められます。
また雑誌型の構造になったことで1ページあたりの滞在時間が減り、つまりより少ない時間で趣旨の7割程度を掴めてしかも魅力的に思える、興味が連続するような情報設計も必要になりました。

そういった与件から、ウェブサイトは以前より柔軟で開いた形であることが強く求められています。しかし柔軟であるということは同時に人々の記憶に留まらない希薄なメディアに陥ってしまう危険性も秘めています。ここに、単なるコピーの連続でなくその都度手を動かし愚直に検討することの価値が発生し得ます。

3. 無意識のデザイン

人々の暮らしは多様であり、個々の生活にフォーカスしてもそこには実に様々なシーンが取り巻いていると思います。情報社会の進展で大きくは世の中の様々なものを意識化、可視化しようという動きに向かっていますが、僕自身この流れはすでに限界を迎えつつあると感じています。意識と無意識はバランスよく同居しているべきで、またメディアは意識の中にのみ存在しているわけではありません。重要なのはデザインが実際に作用していることであり、それを実現するためには必ず無意識の部分にもフォーカスして考えるべきだと思います。

4. コンセプトよりテーマ

言葉で表現できない領域こそがモノの起源だと考えています。また、優れたモノはそれ自体が何かを語りかけ、質感を帯びているものだと思います。多くの議論を重ねてギリギリまで作らない、というよりは、手を動かす過程で意味を探っていくプロセスを取っています。しかし意図のないままフィニッシュしてしまうのは非常にまずいことで、テーマといえる核心が見えてくるまで詰めていくことで初めてリバースエンジニアリング可能な「デザイン」となるのでしょう。
 
 
※また思いついたら加筆修正するかもしれません。