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2011.11.01

説明、理解、到達。

説明したり、理解できたり、到達できてしまうものの方が”つまらない”のではないかと、ある時から思うようになった。

僕が今年になって魅了された映画「紅の豚」は主人公のポルコ・ロッソがなぜ自分が豚になってしまったのかを劇中で明かさないし、だからこそ後味よく魅力的な映画になっている。ヴィム・ヴェンダースの「パリ、テキサス」だって、フランスのパリが主人公にとって恐らく一生訪れることもないだろう土地であることが、まろやかな幻想の光景と絶望するくらい広い現実の荒野との対比を強化している。

上の写真もそうだ。これは永山祐子という建築家が設計した住宅のワンシーンで、タイトルは「丘のある家」。決して好条件とはいえない都会に計画されながら、3階の小部屋から見える屋根を目の前に広がっているけれども到達できない”丘”に見立てていて、僕はこのワンシーンをとても美しいと思った。

現実的にものを作る上ではほとんどの場面で説明を要求される。もしそれを上手くやり繰りするためだけにコンセプトが生まれるのだとすれば、それは間違っているとしか言い様がない。昇華させその先の未到達イメージまで認識でき魅了されるようになって、初めてそれはコンセプトといえるのではないだろうか。しかし僕はコンセプトという言葉にやや気疲れしてしまったのもあって、最近は「テーマ」という表現の方を好むようになった。

未到達であることの飢え、もしくは憧れを抱かせてくれるようなものは2011年の今、本当に少ないと思う。例えば50年くらい前に比べたら様々な意味で人は何か到達しているのかもしれないけれど、やはりそれは失ってはいけないし探すべき余白であり続けるだろう。

次は何に憧れようか?