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2010.10.04

退屈なのは世の中か、自分か

仕事場の近所で夕飯を食べている時、店内には1990年代を代表するJ-POPの有名曲達が流れていた。

80年代に生まれて、物心ついたこの時期を日本で暮らした世代なら必然的に染み付いているであろう”90年代”へのノスタルジー、小室哲哉、宇多田ヒカル、GLAY…そう、86年生まれの僕の体に染み付いていて、嫌でも耳に入ってくるJ-POPから意識を目の前の定食に持っていくことができない。ふと思った。もしこの感覚があらゆる世代にあるものだとすれば、例えば僕の10年後、96年生まれの世代が”2000年代”に思うノスタルジーってどんな色なのだろう?

例えば1986年生まれの僕が感じる2000年代の”世の中像”は、90年代よりも無色である。同じJ-POPでも90年代に録音されたCDには音質と違う次元で空気感があると思うし、そういう意味で最近のメジャーな音楽は見栄えの音質は良くても、高揚感がないとか。もちろんそれが僕に限らない話であることはわかっている。ほぼ全ての世代、人々の記憶の片隅には、何かしら「あの頃はよかった」というノスタルジーが潜んでいるのだと。むしろ重要なのは、それが今後も続いていく事実なのだとすると、例えば90年代生まれの世代が、2000年代のことを思い出してノスタルジーに浸る日がもうすぐ来ること…。

何もしなければ、僕が感じる”今”の世の中観はこの先も更に無色になっていくのだろう。そしてその裏返しで”90年代”はより鮮やかに… 一方で、そんな無色かつ透明に思える空気の中でも鮮やかな色を見つけては体内に吸収しているという世代があるのならば、なんと自分はつまらない人間なのだろうと考えてしまう。世界が無色で退屈に思えるのは、そこにわずかでも付着しているはずの色が見えていない自分だけの話で。朝一番の晴れ空をカメラで撮影したときに、それが予想以上に気持ちのいい青色に描写されて思わず感動してしまうような。

2010年代はむしろ、もっと鮮やかに。